時をかける苺


うちの犬には好きな人がいる。


Tさんはとても人当たりのいい初老の女性だ。胡散臭い宗教に入って家族の抱えた少なくない借金を返して暮らしている。わたしが犬と散歩をしているのを見かけるといつも声をかけてくれ、日々生きていることを労ってくれる。そのTさんに会うと、うちの犬は尻尾が千切れるくらい振りに振って大喜びするのだ。ちなみ、犬は人間年齢に換算して80代のおばあちゃんである。酸いも甘いも知るオンナ同士、何か通い合うものがあるのだろうか。

うちの犬は白毛に薄茶の混ざったちくわのような大型犬で、とても食い意地が張っている。特に甘いものが好き。一度、Tさんが畑(の側には散歩コースで毎日通る)仕事をしているときに、Tさんから犬へ、熟した苺をもらったときがあった。考えてみれば、その他にも鶏のささみや猫用おやつ(Tさんの畑の側に猫屋敷がある)をもらったこともある。こうして書いてしまうと犬がどうしようもなく単純な生き物に見えてしまうのだけれど、Tさんとうちの犬が会うと、「貰う」「あげる」を超えた、感動的な何かがあるような気がしてしまう。それは一体なんだろう。

そんな話をするのも、今日は散歩中に久しぶりに車に乗ったTさんとすれ違ったからである。Tさんは車窓を開けて「夏バテしてない?」と犬へ話しかけた。途端、よぼよぼだった14歳の犬はエンジンが入ったかのように(または今までエンジンが入ってなかったかのように)、車を追いかけ始めたのでとても焦った。いやいくらなんでも追いつかないよ。わたしは「なんとか大丈夫です〜〜」と走るばあさんにリードで引きずられながら答えた。そんな夏の夕方の一コマ。

自分の名前も忘れてしまった犬は、それでもまだ苺の味を覚えている。それだけは確かなんだ。