モラトリアムは課金で延長できます


「給湯温度 浴室優先です」


ぽつりぽつりと今度書きたいネタや気に入ったフレーズをお風呂の中で反芻する。けれどもわたしはそれをさっぱり忘れて浴槽から出る。洗い流してしまっているんだ、生きるために必要でないものは。今のわたしには自分の命を繋ぎとめることに毎日必死で、娯楽としての執筆活動は人生の中で濁してしまっている。何を必死になっているかと問われれば、惰眠を貪っているだけ。でも動けない。このままじゃ駄目だといくら思っても、身体を横たえて仕事に備えるしか出来ない。

それでも先月、久しく東京に出向いたとき、美術館の看板の上で鳴いていたカラスの枯れた声が忘れられない。仲間を呼んでいるのか、餌を探しているのか、とても苦しそうだった。あ、あ、と鳴くカラスの気持ちになると、命の強さと脆さが感じられて、未だ延長している自分のモラトリアムが萎縮してしまうほど、胸が苦しくなる。

地元で桜が綺麗に咲く。芝犬がご主人様と一緒に春の匂いを嗅いでいる。春は、何かしなければと思う気持ちと、もう今のままでいいんじゃないかと思う気持ちが溶け合う季節だ。とりとめのないこの文章も春のせいにしてしまっていいだろうか。わたしは季節の重しのように心に染みを作るあの子の死を、何回も、何回も、きっとこれからも経験して、あの子が友人に望まなかった生を生きていく。

それはとても寂しい。